東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻

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  1. “この困難な状況を乗り切るために、知っておくべきことがある” 市山尚三(客員教授)インタヴュー vol.2

“この困難な状況を乗り切るために、知っておくべきことがある” 市山尚三(客員教授)インタヴュー vol.2

東京FILMEXの立ち上げ、そして成果

 

──それら、プロデューサーとしての活動と並行して2000年にはFILMEXも立ち上げました。

市山:あの時期、僕はものすごく忙しかったんです(笑)。『プラットホーム』の他に『ブラックボード 背負う人』(00/サミラ・マフマルバフ)もやることになり、あとアボルファズル・ジャリリの『少年と砂漠のカフェ』(01)もその時期からスタートしていた……。当時、オフィス北野やその周辺には「東京国際映画祭とは別の映画祭があった方がいい」という空気がありました。オフィス北野の森さんも、カンヌやヴェネチアだけでなくバンクーバー、ロッテルダム、テッサロニキなど、いろんな映画祭を回られており、巨大な映画祭とは別の形の映画祭があるべきだと力説されていました。僕自身が中国やイランを飛び回っているあいだ、同僚たちがいろいろと動き、朝日新聞社などが協力してくれることになった。さらに、当時北野武さんをCMに起用していたジョニー・ウォーカーが協賛金を出してくれるという話がトントン拍子に決まったんです。密かに準備していたわけではなく、開催のために必要な最低限のお金が集まって、じゃあやろうということで、かなりバタバタで始まった感じでした。

 

──これまた偶然だったわけですね。

市山:偶然ですね。ジョニー・ウォーカーの協賛金がなければ始まっていなかったはずですし。

 

──映画祭としての方向性、指針などは、どう考えていたのでしょう?

市山:まず基本的には「顔の見える映画祭」であること。いまは東京国際映画祭でも谷田部吉彦さんや石坂健治さんなど、プログラミング・ディレクターの顔が見えるかたちになっていますが、僕が出向していた当時はディレクターも存在せず、委員会方式で決めるというかたちだった。だから「顔の見える映画祭」として、ディレクターが選んでいるということがわかるようにする。

それから良い作品を埋もれさせないこと。せっかく素晴らしい作品を上映していても、結局大宣伝をやるような映画にかき消されてしまうことが、東京国際映画祭にいたときも多々あって、忸怩たるものがあったんです。だからもっと規模の小さい映画祭で、本数を絞ってすべての映画を見てもらえるようにする。それで賞でも獲れば、そこから大きな展開にもなり得る。もちろん、大規模な娯楽映画であっても、おもしろければやりますが、とにかく作家がつくりたいものがきちんと出ている映画をやろう、というのがポイントでした。

 

──お話を聴いていると、市山さんは、そのときどき目の前に来た偶然やチャンスを見事に掴み続けてきた印象を受けます。重要なのは、いかにチャンスを掴めるか、ということです。

市山:そうですね。たとえばFILMEXでは数年前から「タレント・キャンパス・トーキョー」という人材育成事業を行っています。よくインタヴューで「今後のFILMEXでやりたいことは?」と聞かれると、「人材育成のためのワークショップなどやってみたいですね」などと答えていたのですが、実際には資金的な裏付けがなく、全くできないでいる状態でした。あるとき突然、東京都から「人材育成プログラムをやりませんか」という話があったんです。都としては、アートの分野ではすでに人材育成事業を始めていたので、それを映画でもやりたいと考え、ベルリン国際映画祭の「ベルリナーレ・タレント・キャンパス」に提携を持ちかけたんだそうです。そしたらベルリン側が、日本側に受け入れの映画祭が必要だと。要するに「タレント・キャンパス」の東京版をやるためには信頼できる映画祭と連動しなければならないと。そこで都がFILMEXに白羽の矢を立ててくれたわけです。つまり、こちら側がブレずにずっと何かをやっていれば、どこかにそれを評価してくれる人がいる、ということでしょうか。そんなことが何度かありました。

 

──実際、タレント・キャンパス・トーキョーの成果は?

市山:実は今年のカンヌで新人監督賞にあたるカメラ・ドールを獲った『イロイロ』(13)を監督したのは、タレント・キャンパス・トーキョーの第1回目の受講生だったんです。アンソニー・チェンというシンガポールの監督です。その時のメイン講師はホウ・シャオシェン。他はアピチャッポン・ウィーラセタクンのプロデューサーを務めているサイモン・フィールドと、メメント・フィルムズというフランスのセールス・エージェントのエミリー・ジョルジュ。彼らが企画についてアドバイスし、その後メメント・フィルムズがエージェントを引き受け、カンヌの監督週間に選ばれ、カメラ・ドールを獲った。見事なサクセス・ストーリーです。タレント・キャンパス・トーキョーは3年目にして、こうした素晴らしい結果が出ていますし、ぜひとも続けていきたいですね。

 

「映画教育」の可能性

ネットワークづくりのすすめ

 

──さて、タレント・キャンパスの次は東京芸大です。芸大との関わりは以前からすでにあったんですか?

市山:芸大では数年前からFEMISの学生を呼んで交流をしていますが、そこで講師として話をしたことはありました。また、韓国の全州で行われた韓国国立映画アカデミー(KAFA)との合同ワークショップに参加したこともあります。あと修了作品は毎年見ていますし、第2期生の濱口竜介監督に関しては、『PASSION』(08)、『THE DEPTHS』(10)をFILMEXで上映しましたね。

 

──主に市山さんが教えるのは、どういったことなのでしょう?

市山:基本的にプロデュース領域では桝井先生がすべて教えていらっしゃるので、桝井さんが教えていらっしゃらない部分、とくに海外関係ですね。海外との共同製作だったり、海外映画祭への出品だったり、セールス・エージェントとの取り組みだったり。そのあたりは、以前の日本映画界だったら別に知らなくてよかったわけです。僕が『無能の人』をつくった頃は、結果的に映画祭に出ましたが、日本の興行だけを考えていてもなんとか回収できた。ところが今後それが、おそらくとても難しい状況になってくる。娯楽映画は別として、いわゆる作家性の強い作品になると、日本国内で十分な製作費を集めるのが年々困難になっています。そのなかで、たとえば海外から製作費の半分を得た『トウキョウソナタ』(08/黒沢清)のような成功例もありますし、今後どんどんそういった例が出て来ると思います。僕はたまたま、そういった特殊な領域で仕事をしていて、経験値としてはそれなりにありますし、そこを教えていければなと思います。

海外関係のことは知っていてまったく損ではないし、逆にこれから業界に入る人にとっては、知らなくてはいけないことになると思います。いまインディペンデント的な日本映画で、国内だけで回収するのは本当に難しい。いまは現場のがんばりで、なんとか製作費を圧縮して成立させているというだけの話で、けっして健康的な状態ではない。

 

──どこかで誰かがかならず割を食っている。

市山:ええ。そのような状態でも、海外で少しでも利益が上がると、後でスタッフに還元するなど、多少なりにその努力に報いることができると思うんです。もちろん海外に権利を売るのは、そんなに簡単ではない。ある程度のクオリティなり、作家の名前がないと難しい。でもそういった努力を今後していかないかぎりは、どうしようもないだろうという気がしています。

 

──日本で国際共同製作の映画に対する助成金は存在するのでしょうか?

市山:いちおう存在しています。『ライク・サムワン・イン・ラブ』(12/アッバス・キアロスタミ)はそれをもらっています。ただその助成金にはかなりきつい条件がある。たとえば、製作費の最低20%を日本側が出資していないといけない。今年のカンヌに選ばれたジャ・ジャンクーの『ア・タッチ・オブ・シン(原題)』(13)だと、日本側の出資額は10%以下。つまり、そもそも助成金の対象にならない。さらに、製作費は1億円以上という条件。そうなるとインディペンデント系の映画はほぼ無理ですよね。そのあたりの条件は緩和するべきだと思います。そうでないと、せっかく助成金があったとしても、その助成金を受けるに値する国際共同製作企画が集まらないという事態も起こりうると思います。日本で撮影したい海外の監督がいたとしても、この条件のために他国に切り替える人も出てくると思いますよ。

 

──そういった海外関係の話を聴いて、学生たちはどんな反応をしますか? 雲の上の話、という感じもあるのでしょうか……?

市山:いちばん単純なところで、海外映画祭に出品する、というのは学生たちもかならず興味がありますよね。商売は別にしても、とりあえず作品のクオリティを保証してもらえるわけですから。それに関しても、ノウハウとは言わないまでも、やはりそれなりのやり方はある。間違った方向に一生懸命やってもうまくいかないわけで、こうすればこういう可能性がある、というのを、当然知っておいた方がいいです。でも、じゃあ確実に選ばれるのかといえば、結局は作品次第ですからね。どんな手を使っても、選ばれないものは選ばれない。ただ、場合によっては選ばれる可能性のある作品が、適切な方法を取っていないために選ばれていない、ということはあり得るわけです。

 

──そもそも学校という場での「映画教育」には、どんな可能性があると思いますか?

市山:もちろん教える知識の内容も重要ですが、いちばん大きいのは、やはりネットワークができることですよね。先ほどタレント・キャンパス出身の監督の話をしましたが、彼が監督した『イロイロ』には同じ年に参加していたマレーシアの映画作家が助監督としてクレジットされていました。まさにそういった出会いの場として、映画教育の場はいまだに重要だと思います。講師との出会い、同世代の学生たちとの出会い、そしてそこから生まれるネットワーク。これは非常に重要だと思います。

 

──東京芸大の修了作品も毎年見られているとのことですが、市山さんの目に、いわゆる「若手の」日本映画はどう映っていますか?

市山:そうですねえ……。これは芸大の作品に限りませんが、やはり小さくまとまりすぎているものが多いかな、とは感じます。テクニック的には及第点なんだけど、突き抜けるものがない。その「突き抜けるもの」がないと、国際映画祭の選考では落ちてしまうのではないでしょうか。技術レベルは、他の国の学生映画と比べてもまったく劣ることはないし、すごくレベルが高いと思いますよ。ただそこに「突き抜ける」何かが必要なんですよね。

 

──昨年、濱口竜介監督にインタヴューした際、こんなことを言っていました。いま自分と同世代からあきらかにおもしろい映画が生まれて来ているけど、何かが欠如している気がすると。そして、それは「歴史の感覚」ではないかと。それは別に、映画史の歴史でもないし、アイデンティティとしての歴史でもないわけです。もっと肌感覚に近いものと言いますか……。

市山:ああ、なるほど。たとえばジャ・ジャンクーの映画は話自体すごく小さいですが、やはりそこに「社会」が見えますよね。もしかしたらそれが、いまの日本の学生映画に必要なものかもしれないですね。別に社会的なテーマを入れなさいというわけではなく、映画を通して、いまの日本の社会が見えてくるような……。たとえば『サウダーヂ』(11/富田克也)は、意図的にやっているのかもしれないけど、明らかにある種の社会問題が見える映画になっている。それが海外で評価されているひとつの要因でしょう。それは狙ってできるものなのか、あるいは感性でできてしまうものなのか、わかりませんが。

 

──最後に、現在の芸大の学生たちと、未来の学生たちに一言、お願いします。

市山:いま製作を志す人たちにとっては厳しい世の中になっています。僕が映画界に入った80年代に比べると、予算もかけられないし、お金を集めるのがすごく難しい状況。だからこそ、いろんなネットワークや知識を駆使して、どうやってつくるかを考えないといけない時代になっている。これは大変ではありますが、なんとか乗り切ってやってもらいたい。

それと、僕がやっているような海外との仕事ですね。もちろん必然性がないのにやっても仕方ないですが、可能性があればどんどんチャンレジした方がいいと思います。たぶん目から鱗が落ちるというか、新しい世界が開けるはずです。たとえばね、中国の監督たちと話をするだけでもいいんです。どうやって彼らが映画をつくっているのか。それだけでもすごく刺激になると思います。そしてそういった場に出ていくためには、やはり英語でしょうね。ジャ・ジャンクーだって今年のカンヌの授賞式では、すべて英語でスピーチしましたからね。もちろん、通訳を介して正確に物事を伝えるのが重要なときもあります。でもやはり、自分の言葉で話すのはとても重要です。大島渚監督がそうでしたね。けっして上手ではないけれど、カンヌの記者会見などはかならず自分で、英語でやっていましたから。

 

──たとえ拙い語学力でも、監督本人が話すことで、与える印象がものすごく変わりますよね。

市山:そうなんです。たとえば映画祭に行ってポツンと孤立しているんじゃなくて、なるべくいろんな人たちに話しかける。そのなかで刺激を受けたり、自作に還元できることが、十分にあり得るんです。そこでネットワークができて、その後スタッフ編成に繋がっていくかもしれないし、あるいは製作費が生まれるかもしれない。たとえば、この国のこのカメラマンを使ったおかげで、どこかの国のファンドのお金が取れたり……。十分あり得るんです。そういったことは積極的にやるべきだし、もういまそれが必要な時代になってしまった。日本にいるだけだと、どんどん行き詰まっていくはずだと、そう感じています。

 

取材・構成:松井宏(東京芸術大学大学院映像研究科映画専攻 教育助手)

写真:神山靖弘

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