東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻

  
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高度な専門知識と芸術的感性を育成する

映画専攻は、国際的に流通しうるナラティヴな(物語性を持つ)映像作品を創造するクリエイターや、高度な専門知識と芸術的感性を併せ持つ映画製作技術者を育成することを目標としています。
映画専攻には監督、脚本、プロデュース、撮影照明、美術、サウンドデザイン、編集の七領域(コース)があります。この区分は商業映画の職能区分とほぼ同じであり、映画専攻に入学することでプロと同様の映画制作プロセスを自然に学習できるようになっています。カリキュラムの軸となるものは作品制作であり、ドラマ性を持った映画を主に、短編から長編まで年間数本の作品を実習として制作します。そして、その制作費用は作品規模に応じて実習費として用意されます。また、インターンシップなどでプロの制作現場を経験し、修了後の社会との関わりを築いていくことも可能です。
学生は作品制作に向けて、領域別にゼミナール形式で専門的指導を受けます。また、自らの領域の学習だけではなく、他領域の基礎知識を学ぶ授業も用意されているので、映画についての総合的な知識を深め、感性を高めることができます。作品制作に使用する施設・機材・備品はプロが使用しているものと同等クラスのものであり、講師陣には第一線で活躍する専門知識を持った多種多様なプロが揃っています。

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新しい映画製作システムの構築へ

今、映画産業は「フィルムからデータへ」という「デジタル映画革命」の最中にあります。これは「サイレントからトーキーへ」の音声革命に匹敵する出来事 だと言えるでしょう。映画専攻はこの「映像新時代」に対応すべく、撮影から上映までを全てデジタルで行う「デジタルシネマ制作システム」をいち早く構築しました。また、映画専攻は「現在の映画製作システムでの職能(領域)区分は今後、融合していく方向にある」と考えています。現在の映画制作職能を、学内にほぼ全 て領域として持っている映画専攻は、領域間の人的、技術的横断を行うことにより、ハード(機材)だけではなく、ソフト(人材、知識)の面でも新時代に適応 できる教育機関をめざしています。
美術や音楽分野が産業としての振興と教育体制の確立を明治の初期から行ってきたのに対して、映画映像産業は教育機関との連携無しに今日まで進歩してきました。しかし、映画映像産業も「デジタル映画革命」の中で、産業として大きな分岐点にさしかかっていると言えるでしょう。今こそ、経済活動に対してニュー トラルな立場を取ることができる教育機関が積極的な役割を果たすことができるはずです。映画における産学の連携は今、始まったばかりなのです。

修了生の進路

作家・制作活動      映画監督 脚本家 映画スタッフ 映画評論家

シネバザールキャスティング分室、スターダストピクチャーズ、博報堂DYメディアパートナーズ、トリクスタ(起業)、ラピュタ阿佐ヶ谷、電通、読売広告社、テレビ朝日、アスミック・エース、トランスフォーマー、ステップ、アオイスタジオ、アルカブース、ファント ム・フィルム、KADOKAWAメディア・ファクトリー、イメージスタジオ・イチマルキュウ、ミコット・エンド・バサラ、ピクト、キュレイターズ、アミューズ、アトミックエース、任天堂川口市映像・情報メディアセンター、東京都写真美術館、東京国立近代美術館フィルムセンター、ライトニング、ディレクションズ、拓殖大学、武蔵野美術大学、テレビマンユニオン、YCAM、分福、NHK、コトプロダクション(起業)、AVEX、白組、東京現像所、ピクチャーエレメント、ユーロスペース、FILM、博士後期課程へ進学

分野別データネット用

卓越教授・非常勤講師

映画専攻では海外・国内の第一線で活躍する映画制作者や教育者を卓越教授、非常勤講師として迎えています。

卓越教授

ピエール=ウイリアム・グレン(La Fémisリピット水田堯(南カルフォリニア大学)マイケル・フィンク(南カリフォルニア大学)ノーマン・ホーリン(南カリフォルニア大学)

非常勤講師(海外)

アッバス・キアロスタミ(監督) レオス・カラックス(監督) アミール・ナデリ(監督)  モウセン・マクマルバフ(監督) パク・キヨン(監督) ドミニク・オーブレイ(編集) ヴァレリー・ロワズルー(編集) ロジャー・クリッテンデン(編集) 浦田秀穂(撮影)ナグメ・サミニ(脚本・テヘラン大学) ブリス・コヴァン(監督・La Fémis) シャハーブ・エスファンディアリ(テヘラン芸術大学)他

非常勤講師(国内)

南徳昭(サウンドデザイン) 鈴木昭彦(サウンドデザイン) 鍋島淳(編集) 川島章正(編集) 宮島竜治(編集)葛西誉仁(撮影)大石三知子(脚本) 道木 伸隆(VFX・ピクチャーエレメント)他

映画表現技術領域

  • 監督領域
  • 脚本領域
  • プロデュース領域

監督領域

映画演出に対する理解と判断力、そして、作家性を実践的に身につける


専門家集団の共同作業である映画制作の中で、映画監督は作品に対して決定的な影響力を持ちます。 監督領域の学生は、授業やゼミで映画に対する理解を深め、実習作品では現場での判断力を研鑽し、自分ひとりだけでは作ることができない映画作品に自己の作家性をどう反映させるかという感覚を身につけていきます。

  • 黒沢 清 / クロサワ キヨシ

    1955年生まれ。大学在学中より8mm映画を起点にした創作活動を続け、その後ジャンルを問わず精力的に38作品を監督。代表作に『CURE』『カリスマ』『アカルイミライ』など。『回路』は第54回カンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞、『トウキョウソナタ』は第61回カンヌ国際映画祭ある視点部門審査員特別賞を受賞。海外でしばしば黒沢清特集が組まれるなど、国際的に最も注目されている作家である。『映画はおそろしい』など映画批評、ノベライズの著書も多数。

  • 諏訪 敦彦 / スワ ノブヒロ

    1960年生まれ。東京造形大学在学中にインディペンデント映画の制作にかかわる。卒業後、テレビドキュメンタリーの演出を経て、96年に『2/デュオ』を発表し、ロッテルダム国際映画祭最優秀アジア映画賞受賞。『M/OTHER』でカンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞受賞。その他の主な作品に『H/Story』『パリ・ジュテーム』(オムニバス)『不完全なふたり』(ロカルノ国際映画祭審査員特別賞)『ユキとニナ』など。完成された脚本を用いない独特の手法で知られる。2008年から2013年まで東京造形大学学長を務めた。

修了生からのメッセージ

世界最高峰の監督の思想に触れる
 入学前は商業映画の助監督として大いに失敗した後で、もう自分は映画製作に関わることができないのではないかと思っていました。そんなとき、2005年の映像研究科設立および北野武さんと黒沢清さんの教授就任のニュースを聞いて「自分が映画製作を続けるとしたらもうこれ以外に道がない」ような切羽詰まった気持ちで受験しました。1年目で落ちても諦めきれずに2年目でようやく監督領域に合格しました。 
 入学当初は、何かを新たに教わろうという気持ちのない傲慢な学生だった気がします。制作実習が2年間のほとんどを占めるとは聞いていたので、最後の卒業制作に向けて自分の手法に磨きをかけていこう、ということだけ考えていました。ただ期せずして大いに学んでしまったというのが実際です。
 監督領域の授業では、黒沢清教授のゼミがあって、実習の悩みやら最近見た映画の感想やら四方山話をしながらも、黒沢教授の映画作りの核心にふと触れるような瞬間がありました。それは世界最高峰の監督の思想にじかに触れるということであって、今思い返してもこの上なく贅沢な時間でした。結果的に自分の映画観を根本的に変えられてしまうような体験でした。そう思うと、映像研究科で学んだことすべてが、現在につながっている気がします。監督の仕事の根本は「どこにカメラを据え」「いつスタートとカットをかけるか」であるという認識は黒沢教授の講義やゼミから得たものです。実際の制作面においても、今組んでいるスタッフの多くはこのときに出会った人たちです。映画専攻は当時から、小さな撮影所のようであって「信頼関係」という容易には得られないものをごく自然と育ててくれました。
 既に映像研究科を修了して10年近くが経過してますが、今も変わらず映画製作に心身ともに没頭できる最高の環境が用意されていることを確信しています。実体験からアドバイスすることがあるとすれば、入学希望者に対してはこの環境の有り難さは、現場で一度大きな失敗をしてから来た方がずっと身に沁みる、ということです。入学生に対しては、ここへは誰しもが自分のやりたいことがあってきているということを理解すべき、ということです。各々のやりたいことは一致しない時もあるでしょうが、コミュニケーションを重ねてその一致点を求めたら、作品は今想像しているよりずっと多くの広がりを持って受け入れられるはずです。今からここで学べる人たちを羨ましく思います。
監督領域 二期 濱口竜介
1978年生。東京芸術大学大学院映像研究科の修了作品『PASSION』('08)が国内外の映画祭で高い評価を受ける。その後も精力的な活動を続け、神戸を拠点に制作した『ハッピーアワー』(’15)はロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞、ナント国際映画祭準グランプリ、シンガポール国際映画祭で監督賞を受賞した。
臆せず挑戦する
東京藝大に入学したのは25歳の頃だったかと思います。大学の先輩が映像制作をしていて、その影響で自分も短編を制作していたのですが、実験映画とか個人映画に傾倒していたのもあって、仲間と切磋琢磨して映画制作をしたことがありませんでした。ひょんなことで足を運んだ映画祭で知り合った監督たちは映画学校の仲間たちと制作していて、自分の周りにいる友人たちはみんな企業に就職している。もしこれから映画を志すならば、環境を変えてみようと思いました。

東京藝大に応募したのは、仲間が欲しいという他愛ない動機でした。しかし監督領域の一次審査で落選して、撮影領域の二次募集に応募して、これまた落選。映画制作の役職で自分の向き不向きはわからなかったので何領域でも構わないと応募していました。翌年、また監督領域に応募して、ようやく合格できました。

第一線で戦っている教授たちの元に、年齢も境遇も様々な学生が集まっていました。入学して実感したのは映画制作はチームワークが何より大事だということで、監督領域に在籍して今思うのは、充実した機材と環境下で技術領域と試行錯誤できることは有意義で、その中でも製作領域と二人三脚で映画と向き合えることは特筆すべきことだと思います。はじめこそ見よう見まねでやっていたとしても、ある時に映画制作にはその場に見えないものが必ず伴っていることに気がついて、はじめて監督として人に伝える手段もわかってきました。難しいことを考えないで、臆せず挑戦するのが何よりではないでしょうか。
監督領域 三期 真利子哲也
1981年、東京都生まれ。法政大学在学中に8mmフィルムで自主制作した短篇『極東のマンション』『マリコ三十騎』が、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で2年連続のグランプリ受賞。東京藝術大学大学院の修了作品『イエローキッド』('09)は、バンクーバー国際映画祭をはじめ各国の映画祭で高い評価を受け、学生映画として異例の劇場公開がされた。2016年5月公開の『ディストラクション・ベイビーズ』にてメジャーデビューを飾る。
「好き勝手」を徹底的に
映像研究科の映画専攻は創設当時から興味を持っていましたが、大学3年生の終わり頃から本格的に受験を意識しました。学部時代はワーショップの授業とサークルを中心に映画をつくっていましたが、まだまだ足りない、もっと映画を続けたいと思ったのが受験の理由です。知識も経験も浅い自分が入学してついていけるか不安もありましたが、同級生や先輩と打ち解けてからは不安もなくなり、2年間ひたすら映画漬けの毎日を送りました。藝大にいる人は、つくることを前提に集まっているので遠慮しなくていい、そんな空気が自分にはとても居心地が良かったです。
 今でもよく思い出す授業は、黒沢清教授のゼミで、「とにかくくだらない映画」をみんなで持ち寄って観たシリーズ。まず黒沢教授が『裸の銃を持つ男』(88)を持って来て、「観ましょう」といってはじまりました。それから「次週から順番に、ひとり1本ずつ選んで持って来て」と言うことで、大変難しい宿題が課されたわけです。悩みぬいて(笑)、結局わたしはド緊張しながら『俺たちフィギュアスケーター』(‘07)を持って行ったのですが、運良く黒沢さんが未見で(笑)、なんとか乗り切りました。みんなが持ち寄った映画、どれも面白かったです。このことは今でもなんとなく頭の片隅に残っていて、映画をつくるとき何らかのアザトイ気持ちが沸いたとき、「やめときなさいよ」と言ってくれる感じがします。
 映画専攻を出て、今でもなんとか映画をつくっています。大きいのは、やはり同級生や先輩・後輩の存在。一緒に作品づくりを続けている人もいますし、別々に活動していても「頑張ってるな、私も頑張らないと」と思わせてくれる人がいるのは、本当にありがたいことです。月並みな言い方ですが、映画専攻を出た人たちとは切磋琢磨してやっていきたいです。理想論かもしれませんが、「あいつがこんなに面白い映画撮ったぞ。悔しい、自分もやってやる。」とイイ反応を起こしていって、映画業界を盛り上げていけたら、と思っています。
 これから映画専攻に通われる、または通いたいと思ってらっしゃる方には、2年間はとにかく贅沢な時間ですと言いたいです。第一線で活躍されている映画人から講義を受けられるのだから、居眠りするなと(笑)。わたしは本当に居眠り常習犯でした。ずっと制作に追われていたので眠かった、と言い訳しておきますが…。でも今は、また受け直したいです(笑)。そして、好き勝手な映画をつくっても、誰も怒らない。ただ、この「好き勝手」を絞り出せるかが、勝負だと思います。「好き勝手」を徹底的に絞り出すのに2年間という時間をつかえたら、東京藝術大学の映画専攻を選んで正解だったと言えるのではないでしょうか。
監督領域 八期  鶴岡慧子
1988年生まれ、長野県出身。立教大学時代から映画を撮り始め、卒業制作『くじらのまち』('12)がPFFアワード2012でグランプリ受賞。東京藝術大学大学院映像研究科修了後、第23回PFFスカラシップ作品『過ぐる日のやまねこ』('15)で劇場デビュー。同作品は第15回マラケシュ国際映画祭にて審査員賞受賞。その他の作品に、『はつ恋』('13)、『あの電燈』(’14)、『ともに担げば』(’15)など。

脚本領域

知識を身につけ、作家性を確立する


脚本は言葉によって映像と音響を招くものです。すべてのスタッフ、キャストが創造することは脚本家が先んじて想像しておく必要があります。今後作品を発表する媒体は既存の場に限らず、ネット配信、ライブ表現などますます増えていくでしょう。脚本領域では、優れた作品を作るためにあらゆる知識を身につけること、どんな場においても表現出来る強固な作家性を確立することを目標としています。

  • 坂元裕二 / サカモト ユウジ

    1967年生まれ。19歳の時にフジテレビヤングシナリオ大賞を受賞。23歳の時にテレビドラマ『東京ラブストーリー』の脚本を執筆。以後、連続テレビドラマを中心に活動し、近年は『わたしたちの教科書』、『Mother』、『それでも、生きてゆく』、『最高の離婚』、『Woman』、『問題のあるレストラン』『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』など。

修了生からのメッセージ

ここで負った傷、そして獲た宝
大学卒業後の私は、まさにモラトリアム人間。親からグチグチ厭味を言わる日々。そんなときに、東京藝術大学大学院映像研究科の存在を知った。ここに入れば誰も文句を言うまい。受験を決意した。
私のように入学理由が野暮だと、その後、苦労する。はじめのうちは、第一線で活躍する教授の方々、新たな仲間たち、お洒落な校舎、全てが新鮮で私も浮ついていた。が、そんな状態は即終了し、自分の才能のなさに絶望した。それだけ才能あふれる人たちが藝大には集まっていたのだ。

卒業後もよく思い出すのは制作実習で苦労した日々だ。カフェにパソコンを持ち込み執筆、なんていう悠々自適な学生生活を想像していたが、大学時代に映画制作の勉強していたこともあり、実習ではがっつり撮影に参加していた。お弁当の発注、機材車の運転、セットの作り込み、などなど。脚本を書く上でそれがプラスになるかどうかは別として、「映像作品は仲間と作るもの」ということを身にしみて感じることができた。撮影は病み付きになる楽しさだった。

映像研究科映画専攻と言えばなんといっても豪華な教授陣だろう。著名な教授たちの存在は良い意味でとても怖かった。作品の論評を受ける時は、大抵腹痛に見舞われた。才能溢れ、そして実際に活躍されている教授からの批判はまさに恐怖。尊敬すればするほど、胸に突き刺さる。逆に、少し褒められただけでも、その言葉は宝になる。ここで負った傷、そして獲た宝は、現在の仕事にとても活かされている。

学生生活の中で切磋琢磨した仲間たちは貴重な存在だ。大学院ならでわの魅力だと思うが、藝大生は年齢もバラバラで、元の職業も様々だった。そして、優秀だった。周りの才能に嫉妬したことも多々あるが、撮影でいろいろな場所に行き、スタジオで寝泊まりし、揉めたり、笑ったり、まさに青春だった。卒業後、仲間たちはそれぞれ活躍し、輝いている。私も輝けるようにもがき続けたい。

2年間はあっという間に過ぎた。入学後、私の生活はガラッと代わった。何ものにも代え難い貴重な時間。いつの日か再入学したいくらいだ。

受験という競争を終えても力を抜いてはいけない。入学後も、そして卒業後も更なる競争は続く。一生懸命作ったものを酷評され、才能を否定され、そして限界を感じる。が、いつの間にか免疫がつく。「めげずに頑張る」響きは安っぽいが、「入学生、入学希望の方、めげずに頑張ってください!」と声を大にして言いたい。
脚本領域 三期 倉光泰子
埼玉県出身。東京藝術大学映像研究科脚本領域3期生。卒業後は映画制作会社、配給会社に勤務。その傍らで携帯ゲームなどのシナリオ執筆。『隣のレジの梅木さん』で第26回フジテレビヤングシナリオ大賞を受賞。2016年4月期ドラマ『ラヴソング』(フジテレビ)の脚本を担当。
「あなた以上のものは書けない」
「あなた以上のものは書けない」
入学当時、脚本領域の担当教授であった筒井ともみ教授に言われた一言だ。一聴すると限界を感じるようなフレーズだが、卒業した今でも自戒を込めて頭の片隅に置いている言葉だ。
脚本領域は個人作業が多いため、比較的他領域の学生との接点が少ない。しかし、執筆に支障がでないのを前提として、撮影現場には積極的に参加した方が良い。足手まといとなることが多いかもしれないが、各領域の仕事を間近で見て、彼らの考えに触れ、知見を得ることは後々必ず生きてくる。それに専門外の制作者たちと、フラットに意見を交わし合えるという環境も、映像研究科を出てしまうとなかなかない。時にはぶつかり、主張が噛み合わないこともあったが、周りの言葉に耳を傾けられる寛容さと、周りの言葉に流されない揺るぎなさ、この一見相反する二つを自分の中に同居させることが重要であると学べたことは大きかった。相手の言葉を聞き、自分の言葉をしっかり相手に届ける、単純なことだがこの対話こそが総合芸術である映画表現において極めて重要なことだと思う。
そのようにして築いた人間関係には、卒業後も非常に助けられている。困った時にはお互い協力し合い、同じプロジェクトで仕事が成立した際は感慨もひとしおだ。
脚本は、ひとたび原稿を前にしたらエンドマークに行き着くまで、たった一人、孤独な作業となる。そのせいか、常に内に籠っていると思われがちだが、脚本領域の学生こそたおやかなる好奇心と共に外に出て、新しい人、新しい言葉、新しい出来事に触れ、自分自身を新陳代謝させる必要がある。原稿に向き合った時、確かにあなた以上のものは書けないが、あなた以下のものも書けないのだ。それまであなたが生活し、感じてきた一瞬一瞬は確実にホンの中に反映されてしまう。これは本当にシビアで、恐いことだ。
脚本家の勝負所は原稿に向き合った時ではなく、ファーストシーンを書き出すまでにどれだけ見て、聞いて、触れて、味わって来たかにある。そのために 映像研究科の2年間を大いに使ってほしい。映画のことだけを考えて生きられる時間はもう、きっと訪れない。
いつの日かあなた自身が育んだ、誰のものでもないあなたをそそぎ込んだ物語を紡げたなら、それを受け取ったスタッフたちがきっと、あなた以上のものにしてくれるはずだ。
脚本領域 四期 大浦光太
東京都出身。武蔵野美術大学映像学科卒。東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻脚本領域修了。脚本で参加した「THE DEPTHS」('10)(濱口竜介監督)が第11回東京フィルメックスにおいて、特別招待作品として上映される。主な脚本作として、連続ドラマ「スイッチガール!!2」「ショムニ2013」「HEAT」、映画「クジラのいた夏」('14)がある。
「自分にしか書けない脚本を書くことの大切さ」
映像研究科を卒業しても、私は脚本家という仕事でご飯を食べることができているわけではありません。会社員として働きながら時折自主映画を撮影したり、自分自身に負けそうになりながらも、なんとか脚本を書いているというような状態です。
 私が映画専攻で学んだことは決して「脚本家になるためのいろは」ではなかったように思います。もちろん、思わず膝を乗り出して「それ面白いね!」と言ってもらえるような企画をたくさん持っておくことだとか、締め切りを絶対に守ることだとか、チャーミングな登場人物を描くことだとか、そういうこともたくさん教えてもらいました。脚本家としてデビューしている先輩たちもいます。映画専攻は、脚本家になりたい人が入るにはとても良い学校だと思います。でもそれは、脚本の書き方や脚本家になるためのルートが用意されているからではなく(そんなものはありません)、「自分にしか書けない脚本を書くことの大切さ」を学べる場所だからです。
 一緒に勉強する仲間たちはみんな映画や物語が好きで、自分と同じように素敵な脚本が書けるようになりたい、素敵な映画が作れるようになりたいと思っています。けれどもちろん、世界の描き方や切り取り方はみんな違う。自分も含め仲間たちも、書く回数を重ねればだんだん「上手に」書けるようになってきますが、大切なのは上手に書けることではなくて、その人にしかない世界の切り取り方をどこまで大切にできるかなのだと、私は先生や一緒に映画を勉強した仲間たちに教えてもらったと思います。
 自分はどんな風に世界を切り取れるのだろう、何でそんな風に世界を見たいのだろう、そしてそれをなぜ脚本にしたいのだろう。それを考えて、ごちゃごちゃして前に進めず苦しくて、今の私もまさにそんなふうです。それに会社で働いていると、脚本を書くことをすっぱりやめた方が幸せになれるんじゃないかなんて思うこともあります。でもそんな時にいつも思い出す、先生にもらった大切な言葉があります。「自分を手放してはダメよ」という言葉です。
 映画専攻の2年間は自分を鍛えて育てる術を教えてくれます。在学中は先生や仲間が助けてくれて、自分を鍛えて育てる速度がとっても早かったと思います。でも卒業したら自分1人で自分を育てないといけません。でもあの2年間があるから、きっと自分は自分を手放さないでがんばれると、自分の中のどこかで思っています(やさぐれる日だってもちろんありますけど)。
 脚本家になれる保証はどこにもありませんが、自分にしか書けない脚本を書くことをがんばってみたいと思う人にはきっと素敵な2年間が過ごせる場所だと思います。そして卒業してからも、もちろん自分次第だとは思いますが、きっと諦め悪く生きていけるのではないかと思います。
 皆さんにとって、宝物のような2年間になりますよう!
脚本領域 六期 糠塚まりや
中学生の時に宝塚に出会って熱狂的なファンとなり、宝塚の演出家になりたいがために脚本を書き始める。その後紆余曲折を経て芸大で映画脚本を勉強し始め、宝塚とは関係なく脚本を書くことそのものが楽しくなり今に至る。現在は広告会社で働きながら(CMの脚本も書きます)、自主映画を作ったり脚本を書いている。脚本・監督作に『葬式の朝』('13)、『シブヤのツウ子』(’15)。

プロデュース領域

企画開発から作品公開まで、多岐に渡るプロデューサーの役割を実体験として学ぶ


この領域は、日本で唯一、映画プロデユーサーの育成を目的として生まれました。プロデューサーという仕事を真に理解するには、机上の理論や知識ではなく、実際に映画が製作される現場での経験が重要です。つまり、厳しい製作現場を身を持って体感することです。それは、企画の立案から脚本、予算の作成、契約、スタッフ編成、撮影、仕上げ、配給、宣伝プラン、公開、海外セールス、映画祭への出品そして資金の回収、映画プロデューサーはこういった映画製作すべての過程にかかわるということ、そしてその方法論を製作実習を通して具体的に学びます。現役プロデューサーである教員が製作する映画作品のスタッフとしてプロの現場を体験もします。そこから、自ら考え判断する力と独自の映画観を持ったプロデューサーを世に送りだします。それは、将来映画製作だけではなくあらゆるメディアで国際的にも活躍できる知力と体力を備えたプロデューサーに他なりません。

  • 桝井 省志 / マスイ ショウジ

    1956年生まれ。上智大卒。大映入社後、プロデューサーとして『シコふんじゃった。』、独立後、磯村一路監督、周防正行監督と共にアルタミラピクチャーズを設立、『Shall we ダンス?』『がんばっていきまっしょい』『ウォーターボーイズ』、また音楽ドキュメンタリー『タカダワタル的』、『ザ・ゴールデン・カップス/ワン モアタイム』、『こまどり姉妹がやって来る ヤァ! ヤァ! ヤァ!』等を手掛ける。藤本賞、エランドール賞、SARVH賞受賞。文化庁若手映画作家育成プロジェクトのスーパーバイザーを3年間務める。

  • 市山尚三 / イチヤマショウゾウ

    1963年山口県生まれ。東京大学経済学部を卒業後、松竹に入社。現在はオフィス北野に在籍。主なプロデュース作品に竹中直人監督作品『無能の人』(91)、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督作品『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(98)、サミラ・マフマルバフ監督作品『ブラックボード/背負う人』(00)、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督作品『罪の手ざわり』(13)、舩橋淳監督作品『桜並木の満開の下に』(12)、等がある。また、2000年より映画祭「東京フィルメックス」のプログラム・ディレクターを務めている。

修了生からのメッセージ

国立映画学校としてのネームバリュー
この3月に卒業したのが10期生だ、という事実にありきたりだけど「こっちも歳をとる訳だよな」と思う。
この10年の間、会社を立ち上げ、子供が3人産まれ、映画を3本作った。

後日談として聴いたのは、僕はプロデューサー領域1期生4名の中でも当落線上ぎりぎりの男だったという
話し。最終面接で、並み居る業界のお歴々を前にして"最近心に残った作品"という質問に「ボーン・スプレマシー」と宣ったくらいだから無理もないよな。我ながら。

ITバブルの興隆と崩壊を最前線の一歩兵として経験し、ストレスが腹にくる質の僕はあるアポイントの
帰り道に大を漏らし、なぜかプロデューサーになると言って上司を呆れさせつつ会社を辞めた。
どうしてプロデューサーだったのか、今となっては良く覚えていない。
クリエイティブとビジネスと両方に足を突っ込む贅沢な立場だから、実は一番偉そうだから、モテそう
だから、後付けでなんとでも言えるが言葉にするとどうも薄っぺらい。結婚と同じで縁と勢いと
タイミングだった、とか言っとく。
やるなら本場で勝負だと勢い込んでUCLAを受けるも敢え無く不合格。恐れ多くも滑り止め扱いで
受けた映像研究科が拾ってくれた。当落線上ぎりぎりで。

初の国立映画学校としてのネームバリュー。曲がりなりにも社会人を経験したからこそ分かるが、
おいそれとは会えないような方々とも学生特権で名刺交換ができる。自分は確か100枚一箱の名刺を
3箱使い切ったと記憶している。映像なんか作ったこともない、映画業界に知っている人なんか一人も
いない自分にレバレッジを効かせる手段として"藝大"の看板は大いに使い倒した。

元を正せば大学の予算で映画を撮らせてもらえるというのも悪い冗談のような話し。当時の最新の機材、当時あった海沿いのスタジオ、泣く子も黙る大先生たちと、そしてわざわざ大学院まで行って映画を
やろうという気の振れた仲間たち。壊したり、ぶつけたり、入院したり、ジタバタと悪戦苦闘しながら
作ってきた作品は無様で不器用で、しかし迸る初期衝動が焼き付いた愛すべき存在だ。

今でも仕事で、プライベートで、当時の仲間たちには助けられている。みんな優秀だと思う。
映像研究科に入れたことが担保になっているのか、映像研究科が育て上げてくれたからか定かでは
ないけど社会不適合且つ戦闘力の高い人間が多い。きっと両方の理由とも正しいのだろう。

学費と得られるもの(看板、機材・設備、仲間、先生方をはじめとする映画界とのコネクション...)
を天秤に掛けたら相当にコストパフォーマンスは良い。間違いない。要は自分だ。器としての魅力は
決して小さくはない。そこに入れる中身は各々の血と汗と涙、じゃないけど、まあ結局は自分が
どれだけやるか次第ってことでしょう。二日酔いで良く午前の講義をさぼっていたが、すごい勿体ないことしたなぁ、と今更のようにめちゃくちゃ後悔してるし。

勧めてるのかなんなのか良く分からんけど、この文章がきっかけで後輩になってくれる人がいたら
望外の喜びです。
プロデュース領域 一期 筒井龍平
さまざまな角度から自分たちの現在地を見る
こんなにも日本映画界の錚錚たるプロフェッショナルの方々が教授を務めるのか。
東京藝術大学大学院映像研究科映画学科の開校のニュースを新聞で見た時はとても驚きました。当時、自分はまだ一般大学の大学生でしたが、「ここに進学したい」と感じた事を覚えています。映画は人から学ぶものでは無い、ということは重々承知していましたが、それでも尚、このような教授陣から2年間も学べる機会は滅多に無いと強く感じましたし、何よりプロデューサーコース(製作領域)がある事が魅力でした。映画の撮り方を教える教育機関は数多くあるが、映画(特にアートフィルム)の作り方を教える教育機関は聞いた事がなく、まさにそこが自分が学びたい領域だったからです。
大学卒業後、しっかりとビジネススキルを身につけてから映画に関わって行きたいと考え、戦略コンサルタントとして外資系企業で働いた後に東京藝術大学に入学しました。アカデミックな授業よりも実習を重視したカリキュラムや、社会人経験者にはなかなか馴染みづらい学生ノリなど、入学してから戸惑うことも多々ありましたが、映画をつくるということの生生しさを体で学ぶ事が出来た気がしています。もう1つ入学して実感したのが、映画専攻が意外にも東京藝術大学以外からも学びが得られる大学院だった事でした。各領域の一線級の方々が、ゲスト講師として講義をしたり、フランスの「La Fémis」と交換プログラムをおこなうなど、「今の日本の学生映画製作者から見た視点」だけではなく、さまざまな角度から自分たちの現在地を見る事が出来ました。自分たちが卒業した後、日本の映画界はどうなっていくのか?どのようにキャリアを築いていくべきなのか?などを考えられることができる素晴らしい経験でした。
卒業してから4年が経った今、映画専攻で学んだ価値があらわれる機会が増えている気がしています。映画専攻のOB・現役生を問わずいろいろな領域で活躍されていますが、その縦横に伸びたネットワークは映画製作の際には、ともて強い支えになると思いますし、実際に実感する機会も増えて来ています。
社会、そして映画産業の過渡期に、同じ志を持った映画製作者が集ったことにより、ヌーヴェルヴァーグやアメリカン・ニューシネマなどの映画運動が興りました。映画専攻がその様な場所になればとても素晴らしいと思います。これから入学される方にとても期待しています。
プロデュース領域 六期 大高健志
MotionGallery.inc 代表取締役。1983年 東京生まれ。外資系コンサルティングファームに入社し、主に通信・メディア業界において、事業戦略立案、新規事業立ち上げ支援、マーケティング立案等のプロジェクトに携わる。

映画制作技術領域

  • 撮影照明領域
  • 美術領域
  • サウンドデザイン領域
  • 編集領域

撮影照明領域

知識と技能だけでなく、チームワークやコミュニケーション、そして映像の審美眼を養う


撮影と照明は映画の映像を全面的に支える領域です。その重責を担うために必要な知識と技能を身につけるとともに、映像の審美眼を養います。 専門性の高い撮影機材や照明機材の運用には複数人の連携が不可欠です。 実習では、個々人の技術力もさることながら、撮影・照明特有のチームワークとコミュニケーションを習得します。

  • 柳島 克己 / ヤナギジマ カツミ

    1950年生まれ。写真学校を卒業後、72年に三船プロダクションに契約社員として入る。82年からフリーの助手となり、87年に映画としては初めて撮影を担当する。主な担当作品は北野武『3-4x 10月』『あの夏、いちばん静かな海』『ソナチネ』『Kids Returnキッズ・リターン』『座頭市』『アウトレイジ』ほか14作品担当。柄本明『空がこんなに青いわけがない』、深作欣二『バトル・ロワイヤル』、行定勲『GO』、滝田洋二郎『阿修羅城の瞳』、佐々部清『出口のない海』、西川美和『ディア・ドクター』『夢売るふたり』などがある。

修了生からのメッセージ

映画に対して考える
僕は最初助監督として、映画の現場に出ていたのですが、当時自分の映画に対する指針の無さを感じながら仕事をすることに、限界を感じていました。
そんな時に東京藝術大学大学院映像研究科が設立されたニュースを聞き、もう一度映画について考え学ぶことで自分の基盤をつくり、その上で映画制作に向き合うべきではないかと思い、映画専攻を受験しました。
入学して、教授に学び、友人たちと制作をおこなう中で、それぞれの映画に対する考え方や、向き合い方があり、それを知り理解することが自分の見地を広げることではないかと思うようになりました。
そして、映画制作する現場において、他人の意見や脚本の意図がわからず、それに対して勉強して、実際に撮影し編集された映像を見たときに、自分が撮影したものは自分の理解の範疇の中までしか表すことが出来ないと知りました。
これはあくまで撮影部としての考えですが、僕は現代において映画を作る為には過去から引き継いだ方法を理解し、それを更新する、あるいはそこから自由になる必要があると思っています。自由になるということは、多種多様な方法を知り、それを実行するための技術を習得し、制作の方法の取捨選択の幅を押し広げることだと思います。
その技術というものは、カメラ操作や照明を組む以前の脚本をどのように撮影すべきかという映画文法レベルのことからを含めて考えるべきであり、撮影前の準備の仕方、例えばロケ地をどのように選択するのかといったことから反映されると考えています。
こんな考えは当たり前のことかもしれませんが、僕にとっては大事なことであり、映画専攻において他部署の友人たちと話し合いながら制作し、それぞれの考えの思いの強さなどに触れるうちに、そうなのではないかと思うようになったのです。
映画専攻にいる間に何か具体的な素晴らしい撮影をできたとか、方法論を考えついたみたいな事はないのですが、映画に対して考えるということそれ自体を学んだように思っています。
それは、それぞれが強い意志を持って制作に取り組むという集団の中にいたからこそ学べたのではないかと今では思っています。
撮影領域 二期 佐々木 靖之 
卒業後(株)ピクト入社、2011年よりフリー、近作に『不気味なものの肌に触れる』(’14/濱口竜介監督)『グッド・ストライプス』('15/岨手由貴子監督)『5windows ebis』('15/瀬田なつき監督)『ディアーディアー』('15/菊地健雄監督)『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』('15/中村祐子監督)『蜃気楼の舟』('16/竹馬靖具監督)『ディストラクション・ベイビーズ』('16/真利子哲也監督)『ふきげんな過去』('16/前田司郎監督)ブリジストン、サントリー、ダイワハウス等のCMなど。  
そのミスが組み込まれるという現実
私が映像研究科映画専攻に入学しようと考えたのは、映画制作の現場に携わる仕事がしたかったからでした。第一線でご活躍されている教授陣のもとに飛び込めば、卒業後に仕事として映画の現場に参加することができるだろうという安易な思考で入学を決意しました。入学後すぐに感じたことは、とにかく同級生たちの映画の知識が豊富だということ。講義中に飛び交う世界中の映画作家の名前は八割方分かりませんでしたが、時には知ったかぶりをしてやり過ごし、在学中は、制作実習に全精力を傾けました。自分の学年の実習は勿論、一年次は先輩の、二年次は後輩の実習を手伝う日々でした。その中で、映画を作るにはまずは機材の扱いを覚えなければならないこと、そして現場でミスを犯すことができないという怖さを身をもって学びました。ミスというのは撮影照明領域で言えば、絞り値の選択を誤る、フォーカスが合っていない、画に必要な照明ができていない、シーンを表現するために必要な要素が写っていない、抽象的な部分では監督の狙いを具現化できていない等。そのミスはそのまま編集されて作品の一部になります。自分だけではなくてその作品に携わった人全ての結果にそのミスが組み込まれるという現実に背筋が凍りつく思いをしました。それと何よりもまず撮影照明領域には、ある程度筋力も必要です。機材は重たいですから。
卒業後は在学中に出会った方にお世話になり、そこから様々な方とのご縁から現在まで映画などの制作現場で照明部として働いてます。現場には映像系の学校の卒業生やそういった学校出身ではない方達も含めて様々な方が働いています。その中で、映像研究科出身ということを、どのように仕事に生かしていくのかはとても難しいのですが、在学中に何を学びたいかは勿論、卒業後にどう映画に関わっていくのかをなるべく具体的な目標を持って入学されることをお勧めします。
撮影照明領域  三期 後閑健太
 2009年3月に映像研究科を卒業。卒業後は照明部として主に映画の制作現場に従事。これまでに関わった映画は、照明助手として北野武監督『アウトレイジビヨンド』『龍三と七人の子分たち』、原恵一監督『はじまりのみち』、森崎東監督『ペコロスの母に会いに行く』、行定勲監督『真夜中の五分前』『ピンクとグレー』等。照明として濱口竜介監督『THE DEPTH』、瀬田なつき監督『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』、木村承子監督『恋に至る病』、岨手由貴子監督『グッド・ストライプス』

美術領域

単なるテクニックにとどまらない知識と感性を身につける


映画に登場する家具、衣装、小道具といったものについては、時代や場所の状況が不自然でないだけでなく、その作品の雰囲気にふさわしいものを用意する必要があります。 そのためには非常に幅広い知識と感性が要求されます。 美術領域ではゼミと実習を通じて、単なるテクニックには留まらない物の有り様による演出的工夫や見識を学びます。

  • 磯見 俊裕 / イソミ トシヒロ

    1957年生まれ。大学卒業後,様々な職業を経て,舞台美術・監督を手掛けるようになる。その後,映画美術担当として多くの映画に参加。主な作品には是枝裕和『ワンダフルライフ』『誰も知らない』『花よりもなほ』『歩いても,歩いても』,石井聰亙『ユメノ銀河』『五条霍戦記』,崔洋一『刑務所の中』『血と骨』,黒木和雄『美しい夏キリシマ』深作欣二,深作健太『バトル・ロワイアルII』,河瀬直美『殯の森』,三木聡『転々』,橋口亮輔『ぐるりのこと。』などがある。

サウンドデザイン領域

映像表現におけるサウンドデザインの実践的かつ実験的な表現を学ぶ


サウンドデザイン領域では、「映像作品におけるサウンドデザイン」に特化した教育・研究活動を行っています。
具体的な授業内容は(他領域との共通授業を除く)、
1.ゼミの演習において映画の現場録音から整音作業に至るまでに必要な音響機器の知識を深め、その技術を習得する。
2.ゼミの講義において「サウンドデザイン」という観点から映像表現についての知識を深め、「自分にとってのサウンドデザイン観」を構築する。
3. 実習(映画作品を制作する)を重ねることにより、映像業界の音響プロフェッショナル、サウンド・アーティスト、映像音楽家などになるための具体的なスキルを学び、習得する。

以上から成り立っています。また、生徒が独自研究をできるように、MA室、録音機材などを可能な限り使用することができる「自由な場」としてもサウンドデザイン領域は存在したいと考えています。言い換えると、当領域は映像表現におけるサウンドデザインの「実践」かつ「実験」の場でありたいということです。

Tumblr http://geidaisounddesign.tumblr.com/archive/
Twitter https://twitter.com/tua_sounddesign/

  • 長嶌 寛幸 / ナガシマ ヒロユキ

    1966年生まれ。大学在学中に石井聰亙監督の映画音響ライブ・リミックスを行った事がきっかけで、メディアを問わず多数の作品の音楽、音響を手掛けるようになる。主な映画作品には石井聰亙『エンジェル・ダスト』、大友克洋『メモリーズ エピソード3 ~ 大砲の街』、青山真治『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』『サッド ヴァケイション』、万田邦敏『接吻』『ありがとう』、篠崎 誠『SHARING』、高橋洋『恐怖』などがある。また、電子音楽グループ『Dowser』、『Shinigiwa」としての活動も行っている。

修了生からのメッセージ

一番大切なものは”感情”
我々は芸術家であると同時に職人でなければならない。映画録音の先人たちの話によるとハンダ付けをしてラジオが作れることが入社条件だったそうだ。想像を具現化するためには機材を扱えなければいけない。そして想像したものにより近づけるには、それらの機材を手足のように操らなければならない。それらができてようやく創作活動のスタートラインに立てたと言える。思い返せば映像研究科では想像と創造の鍛錬をさせてもらえる場であった。
入学当初は良い音が優れた作品を作る第一歩だと思い、良い音質で録音しようとばかり考えていたが、制作実習を重ねていくうちにそれだけではダメだと気づく。音が良くても芝居がダメならそれだけで作品は面白くないものになってしまう。
語弊を恐れずに言うと、作品で一番大切なものは感情,“emotion”である。
感情を引き出すためには、良質な芝居場作りをしなければいけない。
不思議な現象だが撮影現場の空気感は映像に残る。その空気感はスタッフみんなが作るものだから、大袈裟に聞こえるかもしれないが学生生活、私生活に至るまですべてが作品に影響すると言っても過言ではない。良い環境ができれば良い芝居が撮れる。結果的に優れた作品ができる。
感情を引き出す作業として録音部として言えることは、Hi-Fi にしすぎないこと、である。それはどういうことかというと、いかに想像してもらうように創造するか、想像を刺激するにはどうすればいいのか、ということである。
音や画、様々なことに当てはまるかもしれないが、綺麗に Hi-Fi で作ってしまうと聴こえはいいが、聴いている側の想像が働かなくなってしまうようである。そこで少しだけ音を劣化させてやると人の脳は無意識のうちに劣化した音を補正しようとする。この「補正しようとする」がポイントで、補正と想像は綿密につながっているらしく、劣化させすぎてもしなさすぎても補正=想像につながらず、加減が非常にシビアで難しく面白いところである。
こんなことを考えながら日々録音に勤しんでいるが、いざ撮影が始まるとしがらみだらけでそれどころではなくなってしまうのである。
サウンドデザイン領域 二期 大堀太輔
高校卒業後、パン屋になるため就職するが3ヶ月で社会の荒波に揉まれ座礁、その後、近畿大学文学部を受験するも不合格、滑り止めで受けておいた大阪芸術大学・映像学科に拾われ映画製作と出会う。そして自主映画のさらなる可能性を求め泣く子も黙る東京藝術大学・大学院映像研究映画専攻録音コースへと舞台を移す。卒業後、現在はフリーランスの録音部として日本映画界に貢献中。
その機会をどう生かすか
大学の卒業論文の研究テーマだった「サウンドスケープデザイン」を生かせる仕事を転職先として探していた頃に、相談していた大学時代の先輩に映画専攻の録音領域をすすめられ、新しい分野に挑戦しようと思い藝大を受験した。映画が好きというより、音から映像表現にアプローチすることに関心があったので、現場録音よりもポストプロダクション志向が強く、入学当初から漠然と効果部になることを意識していたように思う。
 幸運だったのは、当時録音領域を担当されていた堀内戦治教授との出会いであった。座学よりも多くの撮影現場を経験させてくれ、そこで出会ったプロの方々とは現在も一緒に仕事をさせていただく機会が多い。実践で身についた知識や技術、人脈というのが今の自分にとって大きな助けとなっている。
 映画専攻は機会を与えてくれる場であって、その機会をどう生かすかは自分次第でしかない。ポストプロダクションや音響効果の実際の作業は、当時の藝大では学べなかったので、堀内教授にお願いをして映画音響効果の巨匠である佐々木英世氏、柴崎憲治氏らを紹介してもらい、音のハリツケやフォーリーなど、プロの現場を体験させてもらった。その際に、映画の効果音が、自分の想像以上にさまざまな作業工程を経て作られていることを知った。撮影現場とは違った苦労があり、華やかさとは無縁の世界。それがなんとなく自分には良かった。
 撮影所で同期や先輩と会うと嬉しい。製作領域出身のプロデューサーとも仕事をして映画を一本仕上げた。仲間の活躍は刺激となり励みになる。映画専攻出身と聞くと嬉しい。そうした人がもっと商業映画界に増えてほしい。
 その日がくるのをいつも待ってる。
サウンドデザイン領域 三期 松浦大樹
1979年生 青森県出身 アルカブース所属
音響効果担当作品『荒川アンダーザブリッジ』『今日恋をはじめます』『ピース オブ ケイク』『東京無国籍少女』『ライチ光クラブ』『あやしい彼女』

編集領域

デジタル化においても監督の意図以上の表現ができる編集者を育成する


映画の編集とは何でしょう。撮影前のコンテに沿って撮られたラッシュ、偶然映り込んだ何か、無秩序な映像素材。それらのものをある流れにまとめ、それぞれの映像を呼吸できるように生かしていくことだと考えています。 フィルムから、デジタルへと移っても、映画編集に求められていることが変わるわけではありません。素材を深く読み込み、対話し、作品の主題を発見するといった、映画編集に求められていることが変わるわけではありません。これはつながるのか、つながらないのか。 そのためには、映画内に限らず、映画外の知識も必要となってきます。表現すべき者が身体的に把握することで、テクニックは後でついてくるでしょう。 映画のデジタル化によって、誰もが簡単に編集できる時代になったからこそ、編集者の立ち位置はかえって困難になっています。デジタル化によって、監督自身が編集できる時代に、監督の意図以上の編集ができるか。編集領域は、フィルム編集も体験して、つなぐことの基本を覚えたうえで、現在の映画環境に対応できる編集者を育成していきます。

  • 筒井 武文 / ツツイ タケフミ

    映像研究科映画専攻長、編集領域教授。東京造形大学時代より、映画製作を開始。87年サイレント映画『ゆめこの大冒険』で劇場デビュー。編集、監督の仕事の傍ら、映画批評を多数執筆。現在、「キネマ旬報」誌で、新作レビューを連載中。主な監督作品に、『オーバードライヴ』(04)、『バッハの肖像』(10)、『孤独な惑星』(11)。新作に『自由なファンシィ』『映像の発見=松本俊夫の時代』がある。

修了生からのメッセージ

それが最大の個性であり、強みになる
「面白そう」それが理由だ。
その当時、僕は映画とは全く関係のない仕事をしていたし、専門的な知識もなかった。
趣味で映像編集ソフトを触ったことがあったから、編集領域に決めた。
あとは合格するだけ。なんとかして合格するだけだ。
簡単なことだ。
(※当然お金は必要です。)

同級生は約40人。
希望にあふれる若者、できる女、ダメ男、おじさん、おばさん、そしてアメリカ人の血をひく者、いろんな人がいた。
年齢、性別、経験、その他の違いによって、やはり価値観も全然違う。
そんなバラバラな僕らが一つの目標(映画をつくる)に向かっていくのだから、もうそれだけで面白い。一生の財産になり得る。
(※肉体的、精神的ダメージは伴います。)

専門知識が、経験がないから不安だという人も多いだろう。
しかし、ここ映画専攻に限って言えば、それが最大の個性であり、強みになる。
そんなものはここで学べば良い。
(※あるに越したことはありません。)

当時は、映画をつくるのが楽しくて将来のことなど考えていなかったし、
考えたくもなかったし、というか仕事なんかしたくなかった。
そんな僕も今は真面目に、一生懸命、死に物狂いで、誠実に、映画の予告編をつくる仕事をしている。
ちゃんと考えた人は、希望の職業に就いてるし、映画の道を突き進んでいる。
そして、みんな死なずにどこかで生きている。はず。
なので、将来のことを不安に感じている方は、ご安心を。
(※結局は本人次第です。)

つまるところ、言いたかったのは、多分人生は一度きりなので、もしちょっとでも興味があれば、やってみて、道が開ければバンザイ、違ったなということでも、2年の道草ぐらいのもんで、悪くはないはず。

小学校の教科書に
「無駄こそ自分を豊穣にする」
という一文があったのを記憶している。
教科書に書いてあることなので、これは絶対に正しい。間違いであるはずがない。
(※東京芸術大学 大学院 が無駄という意味ではありません。)

さあ、あなたも願書を出して、試験に合格しよう。
編集領域 四期 若林龍
京都の大学で陶芸を学んだのち、4期生として映画専攻編集領域に入学。現在は、映画予告編制作のディレクター主な予告編『私の男』『ライチ光クラブ』『MOMMY/マミー』『イヴ・サンローラン』など
実習に始まって、実習に終わった2年間
海外の大学を卒業後、DITや編集を中心に2年ほど映像の仕事をしました。帰国した時に映像研究科映画専攻の存在を知り、大学院に映画専攻が存在するというのが面白そうだったので入学願書を提出しました。入学する前から編集を含めたポストプロダクション業務に専念したい気持ちが強かったので、迷わず編集領域を志望しました。いい意味であっという間だった、かなり凝縮された2年間を過ごしました。
映画専攻での一番のハイライトはどう考えても制作実習です。入学して1ヶ月も経たないうちに実習準備を始めていた事を考えると、実習に始まって実習(修了制作)に終わった2年間です。映画専攻にいた間の研究や検証はすべて制作実習のためのもので、実習ごとでの積み重ねが技術的な進歩に繋がりました。その経験や知識は確実に今の自分にも活きています。 技術的な事を除いても、映画を制作する上での人間関係の築き方を学べたのも、ほぼ全て制作実習での経験です。卒業してからも同期や先輩と何度か仕事もしています。卒業後からほとんど会えていない同期もいますが、それでもみんな一緒に映像をやっている大事な仲間です。映画専攻の仲間はそのぐらい強い繋がりがあると思っています。
編集領域は 撮影のノリとは全然違うところで作業をします。孤独な作業ですし、作業中に話す事が多いのは、自分とは確実に意見の食い違う監督領域の学生です。加えて、常に編集されているものに対して不安や葛藤があります。編集を進めるほど何が作品の為に上手くいっていて、何が干渉しているのか分からなくなってきます。それが焦りにもつながりますが、大丈夫です。
映画専攻で得られる一番の経験は「失敗できる」ところにあると思います。誰でも失敗はしたくないし、頑張ってうまく作ろうとします。ですが、実際には僕たち技術領域は経験値が少ないので何かしら技術的なミスを多々犯します。それでも、その失敗はまだ暖かく見守られるのが映画専攻の環境です。重要なのは失敗しないことではなくで、そのミスから自分が何を学び取るかではないでしょうか。ただ何となく実習をこなしていただけでは、進歩の無い2年間を過ごす事になります。
是非、映画専攻で失敗して、同期と喧嘩をして、密度の濃い2年を過ごしてスタート点に、もしくは再スタート点に立ってください。
編集領域 七期 田中直毅
東京藝術⼤学⼤学院映像研究科映画専攻7期生。卒業後、3年間同専攻編集領域の教育研究助⼿を務める。在学中のポストプロダクション担当作品『透明人間』が JPPA AWARDS 2013 で学⽣映像技術部⾨シルバー賞を受賞。修了制作編集作品は『神奈川芸術大学映像学科研究室』が SKIP シティ国際Dシネマ映画祭2013で審査員特別賞を受賞。卒業後の編集担当作品に『あすなろ参上!』(真利⼦哲也監督)と『東京ウィンドオーケストラ』(坂下雄⼀郎監督)。2016年4⽉より IMAGICA South East Asia 入社。
遠く離れた場所から
 もしタイムマシンがあって、20歳の頃の自分に、7年後映画をつくることを仕事として生活しているよ、ということを伝えても驚愕して絶対に信じないのだろうなと、ふと思うことがあります。
大学では映画を専門的に学んでいたわけでもなく、自主制作で映画を作っていたわけでもありませんでした。そのような状態で映画専攻に入学したので、最初は戸惑うことばかりでした。完成された状態の映画しか知らないので、出来上がっていく過程は一切わからない、ゼロからのスタート。試行錯誤を繰り返しながら映画をつくっていました。ただ、本当に恵まれていたのは、いわゆる「映画」のつくり方とはかけ離れた方法論を面白がってくれる同期の仲間がいたことでした。映画専攻に入学してくる学生のほとんどは、何かしら映画に関わってきた方が多いです。けれどもそういったセオリーみたいなものは一度忘れて、模索していく。最高の遊び場でした。
 不思議な事に面白いアイディアが出てくるのは、大抵映画以外の話をしている時で、各々の趣味の話だったり、謎の体験談であったりさまざまでした。大学時代にモノづくりに対する根本的な考え方をある師匠から教育(いや、強育)を受けていた時に、一緒にメディア遊びをしていた経験が大いに役立ちました。記録映画とバラエティ番組を、アイドルのライブとコンテンポラリーダンスの公演を、ドラマと映画とを同列に作品として考える。今思えば映画を外枠から考える様な体験。何かと何かを線引きして分け隔ててしまうことの無意味さ、というよりかはもったいなさ。何かと何か、誰かと誰かは全てどこかで繋がっていて、バラバラに打っていた点がいつしか繋がり線となり、何かしらの画になっている。
大学時代にひたすら打っていた点が、映画専攻在学中に線となり、私の場合は卒業時にそれがたまたま「映画」という画になっていただけあって、結果がどんなカタチになるかは人それぞれだと思います。今はそれがたまたま「映画」という言葉でくくられているだけで、いつしか時が流れ姿形を変えて別の「何か」になっているのかもしれない。そんな時が来たとしても、セオリーに縛られず遊び続けたい。ブリコラージュ、創意工夫。モノづくりに対する根本的な考えがブレないかぎり、何の問題もない。常に新しいことを面白がって、楽しみたい。そしてそれに付き合ってくれる人もできた。
 映画専攻で出会った人たちと過ごした本当に多くの時間(2年間、冗談抜きでほとんど一緒に居たのでは?)が、今の自分を形成しているのだと、強く感じます。
もし7年後の自分がタイムマシンに乗ってやってきたとしても、 現在の自分を驚愕させることができる、「何か」をやり続けていたいと思います。
編集領域 九期 後藤龍一
大学卒業後、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻編集領域に入学(9期生)。在学中に『まんまのまんま』『シロクマ・シロクマ』『祭りのはじまり』等の編集を担当。
大学院卒業後から現在まで、映画のDI&VFX業務を行う株式会社ピクチャーエレメントに勤務中。

修了生からのメッセージ

1)入学前について
入学前は商業映画の助監督として大いに失敗した後で、もう自分は映画製作に関わることができないのではないかと思っていました。そんなとき、2005年の映像研究科設立および北野武さんと黒沢清さんの教授就任のニュースを聞いて「自分が映画製作を続けるとしたらもうこれ以外に道がない」ような切羽詰まった気持ちで受験しました。1年目で落ちても諦めきれずに2年目でようやく監督領域に合格しました。
 
2)学生生活をどのように過ごしたか?
入学当初は、何かを新たに教わろうという気持ちのない傲慢な学生だった気がします。制作実習が2年間のほとんどを占めるとは聞いていたので、最後の卒業制作に向けて自分の手法に磨きをかけていこう、ということだけ考えていました。ただ期せずして大いに学んでしまったというのが実際です。
監督領域は黒沢清さんのゼミがあって、実習の悩みやら最近見た映画の感想やら四方山話をしながらも、黒沢さんの映画作りの核心にふと触れるような瞬間がありました。それは世界最高峰の監督の思想にじかに触れるということであって、今思い返してもこの上なく贅沢な時間でした。結果的に自分の映画観を根本的に変えられてしまうような体験でした。

3)今を振り返って
結局、僕にとっては映像研究科でやったことがすべて現在につながっているという気がします。監督の仕事の根本は「どこにカメラを据え」「いつスタートとカットをかけるか」であるという認識は黒沢さんの講義やゼミから得たものです。実際の制作面においても、今組んでいるスタッフの多くはこのときに出会った人たちです。藝大は当時から、小さな撮影所のようであって「信頼関係」という容易には得られないものをごく自然と育ててくれました。

4)入学生・入学希望者にむけての心構え、アドバイス
映像研究科を修了して10年近くが経過してますが、今も変わらず映画製作に心身ともに没頭できる最高の環境が用意されていることを確信しています。実体験からアドバイスすることがあるとすれば、入学希望者に対してはこの環境の有り難さは、現場で一度大きな失敗をしてから来た方がずっと身に沁みる、ということです。入学生に対しては、ここへは誰しもが自分のやりたいことがあってきているということを理解すべき、ということです。各々のやりたいことは一致しない時もあるでしょうが、コミュニケーションを重ねてその一致点を求めたら、作品は今想像しているよりずっと多くの広がりを持って受け入れられるはずです。今からここで学べる人たちを羨ましく思います。
濱口竜介
1978年生。東京芸術大学大学院映像研究科の修了作品『PASSION』(2008)が国内外の映画祭で高い評価を受ける。その後も精力的な活動を続け、神戸を拠点に制作した『ハッピーアワー』(2015)はロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞、ナント国際映画祭準グランプリ、シンガポール国際映画祭で監督賞を受賞した。