東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻

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  1. トークゲスト情報!!11期修了制作展@渋谷ユーロスペース

トークゲスト情報!!11期修了制作展@渋谷ユーロスペース

11期修了制作展@渋谷ユーロスペース(3月4日〜10日)でのトークゲストに関するお知らせです!!

毎年恒例となっております学生監督 X 映画人によるトークセッション。今年は万田邦敏監督、諏訪敦彦監督、黒沢清監督、角井誠さん(映画研究、表象文化論)にお越し頂きます!

また、各作品の出演者の方々にも多く登壇して頂きますので、スクリーンの中と外で修了制作展をお楽しみ下さい。

トークセッション及び登壇予定は以下の通りとなっております。

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3月4日(土) 『情操家族』
上映前・舞台挨拶
登壇者:竹林宏之監督、山田キヌヲ、柳谷一成

3月5日(日) 『わたしたちの家』
上映後・舞台挨拶
登壇者:清原惟監督、安野由記子、大沢まりを、藤原芽生、菊沢将憲、古屋利雄

3月6日(月) 『みつこと宇宙こぶ』
イベント上映:春期実習作品『FOLLOW』(2016/30min/シネマスコープ)
上映後:トーク:竹内里紗監督 X 万田邦敏監督

3月7日(火) 『情操家族』
上映後・トーク:竹林宏之監督 X 諏訪敦彦監督、山田キヌヲ、今橋貴

3月8日(水) 『ミュジックのこどもたち』
上映後・舞台挨拶
登壇者:佐々木健太監督、伊東茄那、生津徹、菊池芙美
上映後・トーク:佐々木健太監督 X 角井誠(映画研究、表象文化論)

3月9日(木) 『わたしたちの家』
上映後・トーク:清原惟監督 X 黒沢清監督

3月10日(金)『みつこと宇宙こぶ』

『ミュジックのこどもたち』

尚、特に記載がないものに関しましては、現時点での舞台挨拶・イベント等は予定しておりませんのでご了承下さい。

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修了作品に関する素敵なコメントを頂戴しました!

『情操家族』(竹林宏之監督)

情操。「知的・道徳的・芸術的・宗教的などのことに関して生じる感情の動き」(漢字源)。教師で母、責任感が強く、学校では悪いことは悪いとずけずけ言ってしまう主人公今日子。家では、高校生の息子・三四郎の面倒をかいがいしく見る。今日子が補講を担当することになった鉄平の母、美映と出会うことで、その世界は少しずつほころびを見せる。社会の道徳や規範を背負って生きている彼女を支えている感情は何か。今日子のエキセントリックさは、演ずる山田キヌヲの細い身体からとてつもないエネルギーとなって画面を駆け抜け、フレーム外の空間まで広がる。対する美映を演じる韓英恵も負けていない。女たちは奮闘し、男たちはタップダンスを踊る。息子たちの視線はどこに向くのか。巧みな演出 と時折入る効果的な音楽で不器用な人物たちが不思議につながっていく。そして、エニグマ的な余韻を残すラストシーン。もう一度最初から映画を見直したくなる誘惑に駆られる。過剰と抑制の間を行き来しつつ、空間を繊細に枠取りしながら乾いた視線で捉えるカメラが印象的だった。今日子、妙に共感しました。

斉藤綾子 ( 映画研究家・明治学院大学教授)

 

『わたしたちの家』(清原惟監督)

「2個の者がsame spaceヲoccupyスル訳には行かぬ」。百年以上前に、夏目漱石はこう書いた。父親を失った少女と、記憶を失った女性の、まったく別々の物語が、ひとつの「家」の中で交錯する。だが、二つは、ほんとうに「別々」なのか?映画史上、誰一人として思いつかなかった、特異かつ甘美な室内劇。
謎に満ちた形而上的スリラーであり、切実で清新な思春期映画であり、女同士の類い稀な友愛の映画でもある。ジャック・リヴェットの魂は、こんなところに転生していた。

佐々木敦(批評家)

 

『ミュジックのこどもたち』(佐々木健太監督)

マーフはなんども振りかえる。ときには数コマの断絶した襞さえその身にひきうけて。オルガは目を瞑ったが、マーフは瞑らない。振りかえったさきで彼女は見ようとする。それはときに我々にも見える。森のなかでは死者と生者が平然と居ならび、ともに歌うのが見える。幼いまあやの話し相手である少年も、ときに画面にちゃっかりと映り込んでいる。佐々木健太は見えないものを平然と画面に連れもどす。その軽やかな足取りは、いちどは目を瞑ったことのある者だけがなしうる身振りなのだろう。鏡に背をむけるマーフの背中は、確実に彼方からの音楽を受けとめる。絶望を請け負ったこどもたちが、もはや見えなくなった者たちと、天国ではなく地上で生きていけるように、私たちの音楽は鳴り響く。光は闇を照らす。notre musiqueのこどもたち。

早川由真(映画研究者)

想いが転がってゆく、そんな時間の流れを感じた作品だった。風景、移動、表情、言葉…、印象的な細部を挙げていけばきりがないが、この映画が投げかけてくるものは、それらが何かの総合体に構築されるものではなく、ただ散らばった小石のように、時々かさなり、時々はじける。音楽も同じで、状況の説明でも心情吐露でもなく、ただ唐突にメロディがある。実は不幸な家を出た赤ずきんが寂しい狩人たちに出会って、たぶん何も始まらない。ただ想いだけが、ぽつりぽつりと、落ちて、転がってゆくような世界。メルヘン未満、でも実はそれが映画というものなのかもしれない。

渋谷哲也(ドイツ映画研究)

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